今日はパルテノンと並んで今回の旅のハイライトであるが世界遺産のドブロブニクである。
クルーズ最後の観光になる。
娘はゆっくりなら痛みも感ぜずに歩けるとのこと、ホット胸をなぜおろす。
これでツアーに参加できる。
だがツアーの出発は遅れに遅れる。
1時間半遅れで出発。
お客の大半がエクスカージョンのツアーに参加しているのだが、さらには個人的にドブロブニクを回る人もいて、どうも旅客の大半が下船することになっているらしい。
何とか埠頭に降り立ってバスへ。
そしてロープウエイ乗り場へ。
ここでも延々の列を作って順番待ちになる。
日差しのきつい中、待ちくたびれて何とか山頂へ。
ガイドがすでに2時間遅れだとぼやく。
ドブロブニクの街中は観光客で溢れかえっている。
今日は土曜日というのがワをかけている。
ケーブルを降りて何とか城壁にとりつく。
ドブロブニクについては有名なので述べない。
世界遺産に指定されるほどにすばらしいところであることは間違いない。
少なくともちょっときてすぐに帰るところではない。
最低でも2泊はしてじっくり見る価値はある。
ツアーは時間の関係ではしょって行われる。
娘いわく「『進撃の巨人』だ」。
●「進撃の巨人」 google画像から
歴史によればわずか23年前の1991年に「進撃の巨人」ならぬ「進撃のユーゴスラビア人民軍」に7カ月包囲され(ドゥブロヴニク包囲)、砲撃戦が行われたという。
結果として100名以上の戦死者を出し、旧市街も損傷を受けたが、城壁は「進撃軍」を支えきったという。
城壁をすべて回ってみたいが時間がない。
この地はクルーズではなく再び訪れるに価値あるところである。
世界遺産の指定は伊達ではない。
帰りのバス発着所は混乱のきわみ。
人人の群れ、喰ってかかる観光客。
大型の観光船だけで数隻入っている。
その出港時間が刻々と迫っている。
係員は「あなた方が帰船しないかぎり、船は出港しませんから」となだめる。
バスは二重駐車、三重駐車で乗客を拾っていく。
メチャクチャ、ハチャメチャのステージ。
日本では絶対に見られない光景。
遅れに遅れて最終バスに乗り込む。
ちなみにここはイタリアでもなくギリシャでもない。
クロアチアである。
だが埠頭はさらに旅客の列。
テンダーボートが間に合わない。
2隻でピストン輸送しているのだが。
何とか最後のボートに乗り込むまで30分以上かかった。
ファンタジアへの最終乗船時間は「13:30」とあるが、最後になったわれわれがファンタジアにたどりついたのは午後3時近くである。
もちろん2時間くらい遅れて出港することになる。
この場合は、船は待ってくれている。
なにしろ2,3百人は陸に取り残されているのだから。
遅れは海上で取り返せばいい。
ファンタジアにとっては造作も無いことである。
スピードの出ないポンコツ観光船ではない。
最新設備の新鋭船である。
ドブロブニクはすばらしい。
週末、観光客が殺到するのもむ得ない。
切れる旅行客も多く出る。
そんなことはない、とわかっているが船に乗り遅れるのではないかという不安感が先立つ。
管理側としても難しいところだろう。
基本資料としてウイキペデイアを載せておく。
『
ドゥブロヴニク(クロアチア語: Dubrovnik、イタリア語: Ragusa、ラテン語: Ragusium)は、クロアチア、アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する都市及び基礎自治体で、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の郡都である。
ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の海港であるネウムが回廊状態で分断しているため、クロアチア本土とは陸続きではない(→飛び地)。
1979年に世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る。
アドリア海沿岸でも傑出した観光地であり、多数のクルーズ船が寄港する他、地中海各都市とフェリーで結ばれドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市となっている。
人口は2011年に行われた国勢調査で42,641である。
そのうち、約28,000人はドゥブロヴニク市街に居住している。
2001年の国勢調査ではクロアチア人は住民の88.39%を占めていた。
ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、中世のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、アドリア海東側では唯一のライバルである都市国家はヴェネチア共和国だけであった。
巧みな外交術と豊富な富に支えられ15世紀から16世紀にかけてはとくに特筆するほど発展している。
1970年代、恒久的に戦争による破壊から守るために非武装化されたが、1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙った。
それまで観光客で賑わっていたドゥブロヴニクへの砲撃は1991年から1992年にかけて続いた。1991年はユーゴスラビアから相次いでクロアチアやスロベニアが独立を宣言した年で、クロアチア社会主義共和国は現在のクロアチア共和国へ名称が変わっている。
1970年代の早い段階で、世界遺産に登録されている旧市街地は戦争による惨事から避けるため非武装化が行われたが1991年の独立宣言後、ユーゴスラビア人民軍に残っていたセルビア・モンテネグロによって町は攻撃されている。
当時モンテネグロの政権はセルビア人政府に忠誠を誓うモミル・ブラトヴィッチ (Momir Bulatović) が担っており、ドゥブロヴニクがクロアチアに残ることは歴史的にモンテネグロの一部である為に容認出来ないと宣言している。
この宣言にも関わらず、ドゥブロヴニク市内で多数を占めるのはクロアチア人でモンテネグロ人の居住者は少数であり、セルビア人は人口の6%を占めるだけであった。
この要求にはミロシェビッチが送り込んだ民族主義者の大セルビア主義が関係している。
1991年10月1日にドゥブロヴニクへユーゴスラビア人民軍 (JNA) が攻撃を開始し、その後ドゥブロヴニク包囲が7ヶ月間続いた。
12月6日には最大の砲撃が行われ、19人が死亡し60人が負傷している。
クロアチア赤十字社によればこの攻撃により114人が死亡したとされ、ドゥブロヴニク包囲では犠牲者に著名な詩人であるミラン・ミリシッチ (Milan Milisić) が含まれていた。
海外メディアは旧市街の損害や人的犠牲を大きく大袈裟なくらいに批判した。
紛争終結後は砲撃による旧市街の損害は復旧が進んだ。
修復はユネスコのガイドラインに忠実に元来の姿に戻されている。
2005年にはもっとも被害を受けた箇所も復旧しており、紛争の被災地を示した地図を城門近くで見ることが出来る。
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷でのJNAの大将や将校の起訴内容にはこの砲撃も含まれている。
』
『
世界ふれあい街あるき
』
ドブロブニクの城壁についてはこちらが詳しい。
『
世界の城壁 ドブロブニク Dubrovnik
http://eritokyo.jp/independent/worldcitystate1_dubrovnik6.html
』
今夜は最後のデイナーである。『
世界ふれあい街あるき
』
ドブロブニクの城壁についてはこちらが詳しい。
『
世界の城壁 ドブロブニク Dubrovnik
http://eritokyo.jp/independent/worldcitystate1_dubrovnik6.html
味は昨日と同じ。
7回の夕食で参加したのは5回。そして美味しかったと思ったのはたった1回だけ。
ひどくマズイと思ったのも1回だけである。
なを今日は最初にでてくるパン皿に、ついに最後までパンが運ばれてくることはなかった。
忘れ去られてしまったらしい。
昨日のケーキに続いての忘却である。
味・サービスなどのすべてを考慮すると、街中なら絶対にいかないレストランだろう。
イタリアのレストランに当たり外れはないという。
しかし、ファンタジアのレストランはハズレ。
古の箴言にあったような記憶があるのだが、
『期待することはいいことだ。
だが期待が満たされることを期待してはならない』。
この船が就航したのが2008年、すでに6年目である。
なのにこの程度のレストランということは、
ファンタジアのレストランの向上は望めない!
ということでもある。
あきらめた方がいいようだ。
ただこのレストランのダメさ加減を補ってあまりあるのがビッフェである。
24時間いつでもおいしいものがよりどりみどりとなると、もはやそれだけで満足に胸がいっぱいになる。
この旅は食事に関しては
『レストランの苦い思い出と、ビッフェの甘い思い出』
を紡ぎだしてくれたようだ。
明日朝、下船になるので今晩と明日朝の必需品をのぞいて荷造りをする。
たった2回しか使用しなかったスーツと革靴、そしてまったく読まなかった本もスーツケースに詰める。
タグをつけて夜中までに廊下に出しておくと回収されて下船時に受け取ることができる。
こういう下船準備を始めると、いよいよクルーズも終末に近づいてきたという実感がこみ上げてくる。
【最新資料】
『
http://www.dailymotion.com/video/x4wwgn0_%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%B8%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%B0-%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2-2016%E5%B9%B410%E6%9C%8810%E6%97%A5_fun
●未来世紀ジパング クロアチア 2016年10月10日 32 views
ドブロブニクは「進撃の巨人」ではなく「ゲーム・オブ・スローンズ」の聖地
』
_