2014年7月9日水曜日

【番外編・3:イタリア・ギリシャ トイレ事情】



●ベニス サンタルチア駅構内のトイレの混雑

 イタリアのトイレ事情については実に多くの情報がインターネットから検索できる。
 ギリシャには公衆トイレがある。
 アクロポリスは駐車場にまた丘の上にある。
 コルフにもあった。
 無料である。
 サントリーニは「チップ」とあり、50セント入れた。
 しかし、アテネ市内はイタリアと同じで公衆トイレはない。
 カフェで「HEX」ビールを飲んだときにトイレを使った。
 カフェ(Bar:バル)の奥にでかく「Toilet」と看板が出ている。
 日本のレストランはなかなかトイレの位置がわかりにくいが、ここは必ず店の奥にある。

 『カフェ』とは「お手洗いを提供する食堂」という場所と解釈しても間違ってはいない。
 よって公衆トイレが発達するということはカフェの死活問題になってくる。
 公衆トイレとカフェは犬猿の中といっていい。
 カフェにとって公衆トイレは商売ガタキになる。
 いまのところカフェの勢力がイタリアでは絶大である。
 それがこの地の文化ということであるが、ヨーロッパはだいたい似たり寄ったりであるという。
 果たしてそれでいいかは疑問に感じる。

 サンタルチア駅の構内に公衆トイレがある。
 使用料は1ユーロである。
 しかし、それを使用するために長蛇の列ができる。
 これが国際観光地ベネチアの姿かと思うと悲しくなる。



 駅構内からしてこれである。
 ベネチアを歩いていると「WC」という文字が道に埋め込まれている。
 それをたどっていくと公衆トイレに行き着くが有料である。
 確か1.5ユーロだったと思う。
 1ユーロだと150円、1.5ユーロだと220円ほど。
 つまり『オシッコ』をするだけに200円の使用料を取るというのはどう考えても腑に落ちない。

 旅慣れてくるとちょっとカフェに入って小物(エスプレッソ)を頼んでトイレを拝借という芸当がなんでもなくできるようになる。
 だがはじめはそれができない。
 小物とはちょびっと入った濃厚なコーヒーで2ユーロ、3ユーロほどである。
 文化には慣れが必要だが、こんな文化はいらないと思う。
 初めて観光する言葉の分からない者にとってはこれは過酷は試練になる。

 ドカーレ宮殿の中にもトイレはある。
 ただここはすでに入場料を払って入っているため無料である。
 しかし、駅構内トイレと同じく長蛇の列である。
 トイレの前には案内人がいて「アッチ、コッチ」と使用するトイレを指示する。
 どうにも考えにくい光景であるが現実である。
 列は男女混合で並んでいるのである。
 ここのトイレのおかしなところは男子トイレに小便器がないことである。
 すべて女子トイレと同じくブースタイプ。
 よって入り口は男女同じ。
 ために案内人が使用ブースの指示を出すということになる。
 男子便所はブース1個で小便器を3つもつければ、あっという間にガラガラになる。
 女子便所はブースを3つつけ順番に入ればいい。
 さすれば案内人など置く必要もない。
 イタリアには小便器はないのであろうか。

[注]:調べてみたらイタリアにも小便器はある。ではなぜそれを使わないのか、という疑問が出てくる。答えはこうである。小便器の利用では使用料が取れない、ということである。

 小便器がないという不思議に加えて、和式トイレがあるという不思議もある。
 ベニスのカフェのトイレは多くが和式である。


*google 画像から

 パドマもそうであった。
 ウオシュレットで洋式に慣れた日本人にとってこれは結構きついのではないだろうか。
 デパートで洋式がふさがっているとき、隣の和式に入ろうとは決して思わない。
 ヒザがきついのである。
 中腰でしゃがめないのである。
 日本人の体はもう和式は無理なようになっているのではなかろうか。
 その和式が国際観光都市のベニスではオーソドック方式になっている。
 果たして例えばアメリカ人などは使用可能なのであろうか。
 私は西洋はすべて腰掛け式の洋風だと思っていた。
 よってベニスで和式をみたときこれはビックリであった。
 和式の「和」は日本式を意味するが、これから判断すると和式も洋式になるのかなと思ってみたりもした。
 イタリア人は足腰が強い民族なのかもしれない。

 日本はいま国際観光に力を入れている。
 その問題の最初に上げられたのがトイレである。
 公共トイレが整備され、またコンビニでは無料でトイレが使えるようになっている。
 駅構内のトイレは近年素晴らしく生まれ変わった。
 汚い、使いづらいが定番の国鉄のトイレが、きれいなJRトイレに生まれ変わった。
 大井競馬場は女性トイレを整備することで、競馬ギャルをつかまえた。
 サントリーニのように壁を白く塗ることで観光化するのもひとつの手だが、公共トイレを整備することの方が日本文化の発信としては大きい。
 ウオシュレットのトイレ文化はクールジャパンの先駆けでもあるが、なにしろ
 「日本のトイレには神様がいる」
という方がインパクトがある。

 小さいころお正月になると玄関、台所、風呂場、便所などに小さな鏡餅を供えて元日になるとおやじの後ろにくっついてかしわ手をうちながら回った。
 玄関には玄関の、台所には台所の、便所には便所の神様がそれぞれ居ると聞かされていた。
 昨今は加えてパソコンの横にお餅を供える。
 いわく「インターネットの神様」に感謝を捧げるのである。

 ところでもし、ヨーロッパの普通の人が日本にきて公衆トイレの状況に触れたとき、そして喫茶店がトイレ提供主ではないことが分かったとき、ちょうど私がイタリアの公衆トイレについて感想を述べたようなことを述べるとしたらどんな印象をもつのであろうか。


2014年7月4日金曜日

【番外編・2:水の都ベニス(ヴェネツィア)[動画版]】 


【水上バスからみるベニス】











【ゴンドラ】
注:ゴンドラの推進法は「櫂」でなくて「櫓」である。





【雨のゴンドラ】
注].人声が入っています。





【ベニスの裏路地】




【ブラーノ島】









【資料】
NHKスペシャル


2015/06/12 に公開 19,635
世界遺産ミステリー アレキサンダー大王の行方

「海の都の物語」 塩野七生著 中央公論社 昭和55年




2014年6月24日火曜日

【番外編・1:ベニスのホテル:『エリート・ホテル・レジデンス』と『パラッツォ・グアルディ』】 



●エリート・ホテル・レジデンス

 ベニス(ヴェネツィア)では2カ所のホテルに泊まっている。
 1つ目はベニス郊外のミストレという街の『エリート・ホテル・レジデンス』。
 ベニス本島のホテルは何しろ値段が高く、なかなかおいそれとは泊まれない。
 でも折角来たのだからと思って泊まったのが
 2つ目の『パラッツォ・グアルディ Palazzo Guardi』。

 『エリート・ホテル・レジデンス』は手頃で日本人の間でも有名で、数多くの宿泊感想がインターネットに載っている。


 
 実際、我々の他にも親子連れの日本人を見かけた。
 ローマ・ニューユーク・東京の3つの時計を掲げているところである。



ここの食堂はいい。
 朝食はバイキングだが、その品数と美味しさには絶対に満足する。
 お薦めのホテルである。



 ベニス空港から「15」番のバスに乗れば、ホテルの前で止まる。
 バス停は「Via Forte Marghera 5/5」である。



★ホテル・レジデンス「エリート」
http://www.elitehotel.it/travel/ja/hotel_near_venice.htm


2つ目の『パラッツォ・グアルディ』は水上バス停の「Zattere」から歩いて数分のところにある。


●左がファンタジアの埠頭、右下に「Zattere」とある。


●ザッテレの桟橋

 これがすごい。
 常識を超えたおもしろさ。
 運河沿い歩いていき、橋の手前で右に折れる。
 この道がなんと1m少々しかないような幅の路地である。
 この奥にホテルがあるって、本当か?
 ビックリマークである。
 先に行く若者たちが入っていったのが、そのホテルである。
 彼らもここの宿泊者である。
 ちょっとタジタジになる。




●[Palazzo Guardi:パラッツォ グアルディ ]は何処に?


●この路地のイメージをもう一度

 意を決してこのドアを開けて入ってみる。
 小さな玄関である。
 なんと、この3階にレセプション(受付)があるという。



  階段に挟まれる部分にはとってつけたような特別のエレベータがある。
 だが、故障中で動かない。
 おそらく永久に動かないのではないだろうか。
 どうみてもホテルではない。
 部屋貸しアパートといった雰囲気である。
 ここ泊まることになるのかと思ったらそうではない。
 手続きをしたら係の女性が降りてきて彼女の後ろについて、運河沿いをもう少々奥へ。

 何の看板も出ていない運河に面した黒い大きなドアをギーと開ける。



 ここからホテルが始まる。
 小さなロビーには何もない。
 階段を上がって左側、運河沿いが我らが部屋になる。
 部屋はこんな感じ。





 部屋からみる景色はこんな感じ。



 これを外からみるとどうなるのか。
 一階中央右寄りに見える大きな黒いドアがホテルの入り口。





 ドアの左右の窓のちょうど真上に当たる窓に挟まれた部分が泊まった部屋になる。
 とてもこんなところにホテルの部屋があるとは誰も思わないだろう。
 1階の青い看板の店はタバッキ(タバコ屋)である

 階段を上がって突き当りは食堂。
 20席ほどある。



 朝方は席が埋まる。
 ということは20人ほどがこの建物に泊まっていることになる。
 
 先の路地奥のレセプションのある建物にも部屋があり、宿泊客がいる。
 どうも空き家になった家を管理して、部屋を外部に宿泊用に貸し出している、といった様である。
 通常ならとてもお客を呼ぶことはできないが、昨今のインターネットの普及でパソコンで調べたお客さんがベニス島で安く泊まれるという絶大なメリットを享受すべく来訪するということのようである。
 我々もインターネットで息子が調べた『エリート・ホテル・レジデンス』や『パラッソ・グアルデ』を利用しているのであるから、さもありなんということになる。
 旅行社にいって調べて予約するわけではない。
 旅行社が契約していない宿泊施設に直接アクセスして申し込みをして、それを信用してやってくるわけである。
 旅行のシステムがドンドン変わってきている。
 こういう宿泊施設を何と呼ぶのだろう。
 日本風だと「インタネ民宿」ということになるのだろうか?

 なを支払いはあの狭い路地の3階のレセプションまで行っておこなう。
 このとき環境税として一人5ユーロ取られる。

 もう少し、このホテルを調べてみる。

パラッツォ グアルディ - booking.com‎
www.booking.com/Palazzo-Guardi‎
最安値保証! オンライン予約、ホテルでお支払い
★ホテル Palazzo Guardi で ヴェニス - 3 つ星 ホテル | HRS
http://www.eurobookings.com/venice-hotels-it/palazzo-guardi.ja.html
★パラッツォ グアルディの動画 - 動画でみる海外ホテル
http://www.mellowberry.com/info/1040663.html
★Palazzo Guardi Hotel - Venice - Italy 2014/06/05 に公開
http://www.youtube.com/watch?v=mkPjJc08s9w

このホテルの特徴は上の通り、すなわち
1].ベニスでは最安値
2].支払いは宿泊後で予約金もとられない
そして、日本語インターネットで予約できる。
 となれば、利用者は多いはずであるのだが。
 でも、日本語での宿泊体験談がいまのところ見つからない。

  また、イカスミパスタを食べたレストランはホテルの近くに限定して、アイフォンを使ってグーグルで「ベニスで安くて美味しいレストラン」で検索したものである。
 あの迷路のようなベニスの街をGPSでスイスイと渡って目的地に着いてしまう。
 若い世代はああでもない、こうでもないなんていう迷いがない。
 高度技術の知識に疎い世代は
 「老年時代の真ん中で、道に迷っているばかり」
となる。
 この現実は当分解消されることはないだろう。
 時代の移り変わりにまるで着いていけない「老年世代の屈辱的劣等感」は今後ももんもんとして続くように思える。

 今日の午前中にベニスではゴンドラ・カヌー大会が行われた。
 よってまだあちこちにその余韻が残っている。



 この運河沿いにはゴンドラの修理工房もあった。




【後日・補】
 「グアルデイ=Guardi」というのは18世紀のベニスの画家で、ベニスの風景を好んで描いたという。


●フランチェスコ・グアルディ  Francesco Guardi

フランチェスコ・グアルディ Francesco Guardi 1712-1793 | イタリア | 18世紀景観画家
18世紀イタリアを代表するヴェネツィアの景観画家。生涯をヴェネツィアで過ごし、同地で制作活動をおこなうが、1760年代から夢想的で叙情性に富んだ即興性の高い独自の都市景観表現を確立。それまでに無い詩情感の漂う印象的で近代的な作風は、当時のみならず現在も極めて高い評価を得ている。景観画、奇想画、祝祭画を主な画題としているものの、画業の初期には兄の影響で宗教画も手がけている。画家の作品の制作年代は不明なものが多く、その大半が後年に描かれたものであるとしか判明していない。1712年、高名な画家一族ドメニコ・グアルディ家の次男として生まれ、同じく画家であったジョヴァンニ・アントニオから同家の工房で絵画を学ぶ(※兄も名高い画家であった)。また同時に先駆者カナレット、マリエスキ、北方絵画から多大な影響を受けつつ独自の描写技術を習得する。その後、ヴェネツィアで制作活動をおこなうものの、1761年に兄ジョヴァンニ・アントニオが死去すると作風が一変、先人カナレットとは決定的に異なる、即興的筆触による幻想的で詩情に満ちた表現の都市景観画を制作するようになった。この独自的な表現様式による作品は同地の者のみならず外国人旅行者たちに高い評価を受け、没落に向かいつつあったヴェネツィアにおいて最後の芸術的輝きとなった。1793年、同地で死去。なお18世紀イタリア最大の画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロは義兄にあたる。 


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八日目:『Arrivederci!(さようなら)!』:MSCクルーズ ベニス下船

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●「さようならファンタジア、思い出のサントリーニ」






●ファンタジアから見る最後のベニス

 部屋は8時までに退去しないといけない。
 よって今日は早めの朝食をビッフェでとる。
 客室係はそれから10時に次のお客が入ってくるまでに清掃を実行することになる。



 「下船の方法について]という記事が下船日のデイリープログラムに載っている。
 でも、このプログラムが配られるのは下船前日の夕方になる。
 よって下船前日はプログラムは朝夕2回配られることになる。




 次は支払い。 



 朝方、明細書が届く。
 内容を確認して、カード払いのときOKならサインをしてデッキ5のレセプションへ提出する。

 下船は飛行機の搭乗手配のあるお客が優先で、その後は順次に行われる。



 われわれは紫タグの個人手配のデッキ13であり、ほぼドンケツ。
 集合時間は10時半である。
 日本の団体は9時過ぎ。
 下船は遅れが出て集合場所のシアターは下船呼び出しを待つ人で満員。
 我々はビッフェで船内放送を聞きながら、果物などつまみながらの歓談になる。
 よってはるかにクルーズの余韻に浸ることができた。



 やっと紫タグの集合がかかった。
 すでに1時間遅れである。
 行ってみると本当にドンケツ。
 最後の下船観光客となる。
 クルーズカードは返却せず、おみやげにくれる。
 下船すると広大な建屋の隅に我々のスーツケースだけが寂しそうに引き取り手を待ってポツンとおかれていた。

 このスーツケースだが、娘は手元にあったものを持ってきたという。
 スモールサイズで3、4泊用である。
 こんな小さいケースに年頃の娘のものが入るのであろうか。
 ほとんどろくなものを持ってきていないことになる。
 表面はペコペコの強化プラスチックでファスナータイプである。

 同じタイプのミデイアムサイズが私のになる。
 フォーマル用の革靴と5冊の文庫本がかさばるだけで、あと主に着替えとクスリである。
 ファスナーをしめて、押してみるとペコペコする。
 つまり中身はガサガサということでもある。
 もし革靴とスーツがなければ娘の大きさでも十分だったろう。
 この旅行のために直前に廉売で買ったのだが9,000円であった。

 ベニス空港についたときのことだが、このスーツケースが出てくるのを待っていた。
 家内のはすぐに出てきたのだが、私のがいくら待っても出てこない。
 うーん、遺失されたかと思った。
 ついに最後に残ったケースが1ケぽつねんと回っているだけになった。
 クレームはどこへいけばいいのか、などと考えていた。
 何気なくこのグルグルと飽きずに回っているケースを眺めてみた。
 「エー!」
 なんと私のなのである、そんなこと!。
 つまり気なしに買って、気なしに詰めて、気なしに持ってきたため、ケース色も形もまるで覚えていなかったのある。
 そんなことが!、あるのである。
 齢なのか、それとも認知症が出てきたのか、このときは本心自分自身に愕然とした。
 家内のと同じ時期に出てきたすると延々と回り続けていたことになる。
 いったい何周したことだろうか。
 30周か40周か。

 ちょっと大きく幅もあり角ばったタイプのが家内のである。
 ガッチリタイプで押し込みロック式である。
 これが日本人の標準タイプの海外旅行用のスーツケースであろう。
 決して開けられることのない安全タイプで、数年前のデスカウントで3万円弱だったという。

 さて家内の姉のだが、こちらは信じられないほどのビッグサイズ。
 スーツケースのキングサイズ・バージョンである。
 金塊が入っているのではないかと思うほどに重たい。
 小錦用である。
 いったい何を入れてきたのであろう。
 これを持ち上げるときはぎっくり腰にならないように注意を要する。
 重さは私の倍ちかくある。
 きっとエーゲ海のジュデイ・オングの向こうを張って「女は海、私の中でお眠りなさい」とばかりにきらびやかなドレスを十数枚も押し込んできたのだろうと想像したりもする。
 なにしろ半端無く重い。
 後日の話だが、持っていた衣料の大半は着るチャンスがなく持ち帰ったとのことである。
 
 家内には<ボス>というあだ名がある。
 これは旅行中につけられたものである。
 ベニスでレストランへ入った。
 グーグルで「ベニスの安くて美味しいレストラン」で検索して出てきた店である。
 確かに美味しく安かった。
 それに雰囲気もよかった。
 ここではじめて「イカスミスパゲテイ」を食べた。
 確かに美味である。
 イカスミをなんて呼ぶのかメニューをみてみたら「ブラックインク」とあった。
 確かに記して妙である。
 ちなみに洗面所には歯ブラシが備えられていた。
 食事が終わって勘定書を係がもってきた。
 当然のようにそれを年長にしてロマンスグレーの私に渡そうとした。
 私はダマまって家内を手指しした。
 「オー、ボス!」
 これが係が発した驚嘆の言葉である。
 席は一気に爆笑。
 日本では誰が払うかはあまり詮索されない。
 どうもここでは男性が払うものだと決まっているようだ。
 家内はおもむろにカードを取り出し、サインをする。
 それ以降「ボス」のあだ名が定着することになる。
 後日いわく『ゴットマザーと呼ばれたかった』。

 乗船する時、道案内をしていたイケメンのお兄さんが交通整理をしている。
 なにしろこのお兄さん、「こんな美男子みたことがない」といえるほどのイケメン中のイケメン。
 日本ならこのまま俳優に、いやホストなら1カ月もしないうちに売上ナンバーワンになれるだろうと思えるほど。
 そのお兄さんが交通整理である。
 イタリアはすごい。
 イタリア人には美人美男子が多い。
 だがイタリア女性はキツイ。
 まるで他人を化け物のような目で睨みつける。
 時にニラメッコになる。
 だが男性はすこぶる優しい。
 ジゴロの国である。
 だから女性が自然キツクなるのかもしれない。
 男子争奪戦である。

 ちなみにギリシャのサントリーニ島では娘はプロポーズされている。
 おみやげ屋さんに入って WiFi と動かない悩んでいたらその店員がチョコチョコと操作して動くようにしてくれた。
 そして「ビューテイフル」の連発でプロポーズである。
 ボスが割り込んで「私が母親だ」と言うと、ボスもひっくるめてプロポーズである。
 それが挨拶のギリシャなのかもしれない。
 ちなみにおみやげは何も買わなかったとのことである。

 ボスがこのイケメンにバスの確認をとる。
 つまり、シャトルバスはどこからでるのか、バスに乗るにはここで待っていればいいのか、バスはいつ来るのだ、などなど。
 バスは「Bus」である。
 ところがこれはイタリア語ではローマ字発音になる。つ
 まり「ブス」である。
 よって聞こえてくるのはブスブスの連発になる。
 「ブスに乗るのはここでいいのか」
 「ブスはいつくるのか」
という具合。
 横で聞いていると吹き出しそうになる。
 『ボスがブスをイケメンに聞く』
ということになる。

 このブス発着所のとなりは次の乗船のお客さんのチェックイン誘導路になっている。
 どんどんと飲み込まれていく。
 彼らはこれから1週間のクルーズを謳歌することになる。
 ブスの横腹にスーツケースがしまい込まれ、ものの3,4分でピープルムーバーのモノレール駅へ。
 荷物が降ろされブスは去っていった。
 足掛け8日間の『ファンタジアのファンタジーは終了した』

 総合的感想はというと、面白い。
 船旅と下船ツアーがドッキングしているが、観光地をまわるために船旅があるのではなく、メインはあくまでも船旅のエンジョイである。
 エクスカージョン・ツアーは気晴らしの添え物といってもいい。
 下船してからのツアーでは圧倒的に時間が足りない。
 さわりだけしか見学できない。
 よっていかに船旅を楽しめるかがテーマになる。
 そしてこのクルーズ、『楽しめる』。
 なによりいいのが次から次へと移動しないですむこと。
 スーツケースを開けたり閉めたりしないで済むこと。
 そして24時間ビッフェがオープンしていて、いつでも口にモノが入れられること。
 さらにはビッフェの小物料理が半端無くおいしいこと。
 肉、魚、果物からスイーツまでよりどりみどり。
 なにかナマケモノが極楽にいるような感じになる。
 「まずいレストラン」というのは、それはそれなりに豪華船ファンタジアの話題になるし、「24時間食べられるビッフェ」は面白さの宝石でもある。
 食べることに関しては奈落の縁から天国への階段まで揃っている。

 ボスは夢のような一週間」だったと言う。

 最後にもしあなたが
 『老年時代の真ん中で、道に迷っているばかり』
なら、ちょっと奮発して、1週間ほどの外国船クルーズに乗られることをおすすめします。
 海外ツアーで時間に追われるように目的地を次から次へとl回るよりも、船舶という限られた空間の中で長期間、外国人の中に入って過ごす経験は結構刺激的だと思います。
 ほとんど何の目的もなく、だらだらと右も左も顔形の違う人と暮らす環境は必ずやあなたの心に何らかのキッカケを与えてくれることでしょう。
 少々、宣伝を兼ねてのお薦めです。
 老年旅行の鉄則は3つです。
1].衛生環境がいいこと
2].治安状態がいいこと
3].暖かいこと
 この3つのすべてをクルーズは満たしてくれます。
 それに決して「道に迷う」こともありません。
 廊下で迷うことはあっても。
 振り返ると「なんとも緊張感のない旅行」でした。
 初めてのヨーロッパだったのに。




七日目:『ようこそドブロブニクへ(クロアチア)』:「進撃の巨人」







今日はパルテノンと並んで今回の旅のハイライトであるが世界遺産のドブロブニクである。
クルーズ最後の観光になる。
娘はゆっくりなら痛みも感ぜずに歩けるとのこと、ホット胸をなぜおろす。
これでツアーに参加できる。






だがツアーの出発は遅れに遅れる。
1時間半遅れで出発。
お客の大半がエクスカージョンのツアーに参加しているのだが、さらには個人的にドブロブニクを回る人もいて、どうも旅客の大半が下船することになっているらしい。



これではとてもテンダーボートが間に合わない。
何とか埠頭に降り立ってバスへ。
そしてロープウエイ乗り場へ。
ここでも延々の列を作って順番待ちになる。
日差しのきつい中、待ちくたびれて何とか山頂へ。





ガイドがすでに2時間遅れだとぼやく。
ドブロブニクの街中は観光客で溢れかえっている。
今日は土曜日というのがワをかけている。

ケーブルを降りて何とか城壁にとりつく。









ドブロブニクについては有名なので述べない。
世界遺産に指定されるほどにすばらしいところであることは間違いない。
少なくともちょっときてすぐに帰るところではない。
最低でも2泊はしてじっくり見る価値はある。
ツアーは時間の関係ではしょって行われる。

 娘いわく「『進撃の巨人』だ」。


「進撃の巨人」 google画像から

 歴史によればわずか23年前の1991年に「進撃の巨人」ならぬ「進撃のユーゴスラビア人民軍」に7カ月包囲され(ドゥブロヴニク包囲)、砲撃戦が行われたという。
 結果として100名以上の戦死者を出し、旧市街も損傷を受けたが、城壁は「進撃軍」を支えきったという。
 






 城壁をすべて回ってみたいが時間がない。
 この地はクルーズではなく再び訪れるに価値あるところである。
 世界遺産の指定は伊達ではない。




















帰りのバス発着所は混乱のきわみ。
人人の群れ、喰ってかかる観光客。
大型の観光船だけで数隻入っている。
その出港時間が刻々と迫っている。
係員は「あなた方が帰船しないかぎり、船は出港しませんから」となだめる。
バスは二重駐車、三重駐車で乗客を拾っていく。
メチャクチャ、ハチャメチャのステージ。
日本では絶対に見られない光景。
遅れに遅れて最終バスに乗り込む。
ちなみにここはイタリアでもなくギリシャでもない。
クロアチアである。
だが埠頭はさらに旅客の列。
テンダーボートが間に合わない。
2隻でピストン輸送しているのだが。
何とか最後のボートに乗り込むまで30分以上かかった。
ファンタジアへの最終乗船時間は「13:30」とあるが、最後になったわれわれがファンタジアにたどりついたのは午後3時近くである。
もちろん2時間くらい遅れて出港することになる。
この場合は、船は待ってくれている。
なにしろ2,3百人は陸に取り残されているのだから。

遅れは海上で取り返せばいい。
ファンタジアにとっては造作も無いことである。
スピードの出ないポンコツ観光船ではない。
最新設備の新鋭船である。
ドブロブニクはすばらしい。
週末、観光客が殺到するのもむ得ない。
切れる旅行客も多く出る。
そんなことはない、とわかっているが船に乗り遅れるのではないかという不安感が先立つ。
管理側としても難しいところだろう。

基本資料としてウイキペデイアを載せておく。

ドゥブロヴニク(クロアチア語: Dubrovnik、イタリア語: Ragusa、ラテン語: Ragusium)は、クロアチア、アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する都市及び基礎自治体で、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の郡都である。
ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の海港であるネウムが回廊状態で分断しているため、クロアチア本土とは陸続きではない(→飛び地)。

1979年に世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る。
アドリア海沿岸でも傑出した観光地であり、多数のクルーズ船が寄港する他、地中海各都市とフェリーで結ばれドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市となっている。
人口は2011年に行われた国勢調査で42,641である。
そのうち、約28,000人はドゥブロヴニク市街に居住している。
2001年の国勢調査ではクロアチア人は住民の88.39%を占めていた。

ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、中世のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、アドリア海東側では唯一のライバルである都市国家はヴェネチア共和国だけであった。
巧みな外交術と豊富な富に支えられ15世紀から16世紀にかけてはとくに特筆するほど発展している。
1970年代、恒久的に戦争による破壊から守るために非武装化されたが、1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙った。

それまで観光客で賑わっていたドゥブロヴニクへの砲撃は1991年から1992年にかけて続いた。1991年はユーゴスラビアから相次いでクロアチアやスロベニアが独立を宣言した年で、クロアチア社会主義共和国は現在のクロアチア共和国へ名称が変わっている。
1970年代の早い段階で、世界遺産に登録されている旧市街地は戦争による惨事から避けるため非武装化が行われたが1991年の独立宣言後、ユーゴスラビア人民軍に残っていたセルビア・モンテネグロによって町は攻撃されている。

当時モンテネグロの政権はセルビア人政府に忠誠を誓うモミル・ブラトヴィッチ (Momir Bulatović) が担っており、ドゥブロヴニクがクロアチアに残ることは歴史的にモンテネグロの一部である為に容認出来ないと宣言している。
この宣言にも関わらず、ドゥブロヴニク市内で多数を占めるのはクロアチア人でモンテネグロ人の居住者は少数であり、セルビア人は人口の6%を占めるだけであった。
この要求にはミロシェビッチが送り込んだ民族主義者の大セルビア主義が関係している。

1991年10月1日にドゥブロヴニクへユーゴスラビア人民軍 (JNA) が攻撃を開始し、その後ドゥブロヴニク包囲が7ヶ月間続いた。
12月6日には最大の砲撃が行われ、19人が死亡し60人が負傷している。
クロアチア赤十字社によればこの攻撃により114人が死亡したとされ、ドゥブロヴニク包囲では犠牲者に著名な詩人であるミラン・ミリシッチ (Milan Milisić) が含まれていた。
海外メディアは旧市街の損害や人的犠牲を大きく大袈裟なくらいに批判した。
紛争終結後は砲撃による旧市街の損害は復旧が進んだ。
修復はユネスコのガイドラインに忠実に元来の姿に戻されている。
2005年にはもっとも被害を受けた箇所も復旧しており、紛争の被災地を示した地図を城門近くで見ることが出来る。
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷でのJNAの大将や将校の起訴内容にはこの砲撃も含まれている。



世界ふれあい街あるき
 





ドブロブニクの城壁についてはこちらが詳しい。

世界の城壁  ドブロブニク Dubrovnik
http://eritokyo.jp/independent/worldcitystate1_dubrovnik6.html








今夜は最後のデイナーである。


  味は昨日と同じ。
7回の夕食で参加したのは5回。
 そして美味しかったと思ったのはたった1回だけ。
 ひどくマズイと思ったのも1回だけである。
 なを今日は最初にでてくるパン皿に、ついに最後までパンが運ばれてくることはなかった。
 忘れ去られてしまったらしい。
 昨日のケーキに続いての忘却である。

 味・サービスなどのすべてを考慮すると、街中なら絶対にいかないレストランだろう。
 イタリアのレストランに当たり外れはないという。
しかし、ファンタジアのレストランはハズレ
古の箴言にあったような記憶があるのだが、
 期待することはいいことだ。
 だが期待が満たされることを期待してはならない』。
この船が就航したのが2008年、すでに6年目である
なのにこの程度のレストランということは、
 ファンタジアのレストランの向上は望めない!
ということでもある。
あきらめた方がいいようだ。
ただこのレストランのダメさ加減を補ってあまりあるのがビッフェである。
24時間いつでもおいしいものがよりどりみどりとなると、もはやそれだけで満足に胸がいっぱいになる。
この旅は食事に関しては
レストランの苦い思い出と、ビッフェの甘い思い出
を紡ぎだしてくれたようだ。


明日朝、下船になるので今晩と明日朝の必需品をのぞいて荷造りをする。



たった2回しか使用しなかったスーツと革靴、そしてまったく読まなかった本もスーツケースに詰める。
タグをつけて夜中までに廊下に出しておくと回収されて下船時に受け取ることができる。
こういう下船準備を始めると、いよいよクルーズも終末に近づいてきたという実感がこみ上げてくる。








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