2014年6月24日火曜日

八日目:『Arrivederci!(さようなら)!』:MSCクルーズ ベニス下船

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●「さようならファンタジア、思い出のサントリーニ」






●ファンタジアから見る最後のベニス

 部屋は8時までに退去しないといけない。
 よって今日は早めの朝食をビッフェでとる。
 客室係はそれから10時に次のお客が入ってくるまでに清掃を実行することになる。



 「下船の方法について]という記事が下船日のデイリープログラムに載っている。
 でも、このプログラムが配られるのは下船前日の夕方になる。
 よって下船前日はプログラムは朝夕2回配られることになる。




 次は支払い。 



 朝方、明細書が届く。
 内容を確認して、カード払いのときOKならサインをしてデッキ5のレセプションへ提出する。

 下船は飛行機の搭乗手配のあるお客が優先で、その後は順次に行われる。



 われわれは紫タグの個人手配のデッキ13であり、ほぼドンケツ。
 集合時間は10時半である。
 日本の団体は9時過ぎ。
 下船は遅れが出て集合場所のシアターは下船呼び出しを待つ人で満員。
 我々はビッフェで船内放送を聞きながら、果物などつまみながらの歓談になる。
 よってはるかにクルーズの余韻に浸ることができた。



 やっと紫タグの集合がかかった。
 すでに1時間遅れである。
 行ってみると本当にドンケツ。
 最後の下船観光客となる。
 クルーズカードは返却せず、おみやげにくれる。
 下船すると広大な建屋の隅に我々のスーツケースだけが寂しそうに引き取り手を待ってポツンとおかれていた。

 このスーツケースだが、娘は手元にあったものを持ってきたという。
 スモールサイズで3、4泊用である。
 こんな小さいケースに年頃の娘のものが入るのであろうか。
 ほとんどろくなものを持ってきていないことになる。
 表面はペコペコの強化プラスチックでファスナータイプである。

 同じタイプのミデイアムサイズが私のになる。
 フォーマル用の革靴と5冊の文庫本がかさばるだけで、あと主に着替えとクスリである。
 ファスナーをしめて、押してみるとペコペコする。
 つまり中身はガサガサということでもある。
 もし革靴とスーツがなければ娘の大きさでも十分だったろう。
 この旅行のために直前に廉売で買ったのだが9,000円であった。

 ベニス空港についたときのことだが、このスーツケースが出てくるのを待っていた。
 家内のはすぐに出てきたのだが、私のがいくら待っても出てこない。
 うーん、遺失されたかと思った。
 ついに最後に残ったケースが1ケぽつねんと回っているだけになった。
 クレームはどこへいけばいいのか、などと考えていた。
 何気なくこのグルグルと飽きずに回っているケースを眺めてみた。
 「エー!」
 なんと私のなのである、そんなこと!。
 つまり気なしに買って、気なしに詰めて、気なしに持ってきたため、ケース色も形もまるで覚えていなかったのある。
 そんなことが!、あるのである。
 齢なのか、それとも認知症が出てきたのか、このときは本心自分自身に愕然とした。
 家内のと同じ時期に出てきたすると延々と回り続けていたことになる。
 いったい何周したことだろうか。
 30周か40周か。

 ちょっと大きく幅もあり角ばったタイプのが家内のである。
 ガッチリタイプで押し込みロック式である。
 これが日本人の標準タイプの海外旅行用のスーツケースであろう。
 決して開けられることのない安全タイプで、数年前のデスカウントで3万円弱だったという。

 さて家内の姉のだが、こちらは信じられないほどのビッグサイズ。
 スーツケースのキングサイズ・バージョンである。
 金塊が入っているのではないかと思うほどに重たい。
 小錦用である。
 いったい何を入れてきたのであろう。
 これを持ち上げるときはぎっくり腰にならないように注意を要する。
 重さは私の倍ちかくある。
 きっとエーゲ海のジュデイ・オングの向こうを張って「女は海、私の中でお眠りなさい」とばかりにきらびやかなドレスを十数枚も押し込んできたのだろうと想像したりもする。
 なにしろ半端無く重い。
 後日の話だが、持っていた衣料の大半は着るチャンスがなく持ち帰ったとのことである。
 
 家内には<ボス>というあだ名がある。
 これは旅行中につけられたものである。
 ベニスでレストランへ入った。
 グーグルで「ベニスの安くて美味しいレストラン」で検索して出てきた店である。
 確かに美味しく安かった。
 それに雰囲気もよかった。
 ここではじめて「イカスミスパゲテイ」を食べた。
 確かに美味である。
 イカスミをなんて呼ぶのかメニューをみてみたら「ブラックインク」とあった。
 確かに記して妙である。
 ちなみに洗面所には歯ブラシが備えられていた。
 食事が終わって勘定書を係がもってきた。
 当然のようにそれを年長にしてロマンスグレーの私に渡そうとした。
 私はダマまって家内を手指しした。
 「オー、ボス!」
 これが係が発した驚嘆の言葉である。
 席は一気に爆笑。
 日本では誰が払うかはあまり詮索されない。
 どうもここでは男性が払うものだと決まっているようだ。
 家内はおもむろにカードを取り出し、サインをする。
 それ以降「ボス」のあだ名が定着することになる。
 後日いわく『ゴットマザーと呼ばれたかった』。

 乗船する時、道案内をしていたイケメンのお兄さんが交通整理をしている。
 なにしろこのお兄さん、「こんな美男子みたことがない」といえるほどのイケメン中のイケメン。
 日本ならこのまま俳優に、いやホストなら1カ月もしないうちに売上ナンバーワンになれるだろうと思えるほど。
 そのお兄さんが交通整理である。
 イタリアはすごい。
 イタリア人には美人美男子が多い。
 だがイタリア女性はキツイ。
 まるで他人を化け物のような目で睨みつける。
 時にニラメッコになる。
 だが男性はすこぶる優しい。
 ジゴロの国である。
 だから女性が自然キツクなるのかもしれない。
 男子争奪戦である。

 ちなみにギリシャのサントリーニ島では娘はプロポーズされている。
 おみやげ屋さんに入って WiFi と動かない悩んでいたらその店員がチョコチョコと操作して動くようにしてくれた。
 そして「ビューテイフル」の連発でプロポーズである。
 ボスが割り込んで「私が母親だ」と言うと、ボスもひっくるめてプロポーズである。
 それが挨拶のギリシャなのかもしれない。
 ちなみにおみやげは何も買わなかったとのことである。

 ボスがこのイケメンにバスの確認をとる。
 つまり、シャトルバスはどこからでるのか、バスに乗るにはここで待っていればいいのか、バスはいつ来るのだ、などなど。
 バスは「Bus」である。
 ところがこれはイタリア語ではローマ字発音になる。つ
 まり「ブス」である。
 よって聞こえてくるのはブスブスの連発になる。
 「ブスに乗るのはここでいいのか」
 「ブスはいつくるのか」
という具合。
 横で聞いていると吹き出しそうになる。
 『ボスがブスをイケメンに聞く』
ということになる。

 このブス発着所のとなりは次の乗船のお客さんのチェックイン誘導路になっている。
 どんどんと飲み込まれていく。
 彼らはこれから1週間のクルーズを謳歌することになる。
 ブスの横腹にスーツケースがしまい込まれ、ものの3,4分でピープルムーバーのモノレール駅へ。
 荷物が降ろされブスは去っていった。
 足掛け8日間の『ファンタジアのファンタジーは終了した』

 総合的感想はというと、面白い。
 船旅と下船ツアーがドッキングしているが、観光地をまわるために船旅があるのではなく、メインはあくまでも船旅のエンジョイである。
 エクスカージョン・ツアーは気晴らしの添え物といってもいい。
 下船してからのツアーでは圧倒的に時間が足りない。
 さわりだけしか見学できない。
 よっていかに船旅を楽しめるかがテーマになる。
 そしてこのクルーズ、『楽しめる』。
 なによりいいのが次から次へと移動しないですむこと。
 スーツケースを開けたり閉めたりしないで済むこと。
 そして24時間ビッフェがオープンしていて、いつでも口にモノが入れられること。
 さらにはビッフェの小物料理が半端無くおいしいこと。
 肉、魚、果物からスイーツまでよりどりみどり。
 なにかナマケモノが極楽にいるような感じになる。
 「まずいレストラン」というのは、それはそれなりに豪華船ファンタジアの話題になるし、「24時間食べられるビッフェ」は面白さの宝石でもある。
 食べることに関しては奈落の縁から天国への階段まで揃っている。

 ボスは夢のような一週間」だったと言う。

 最後にもしあなたが
 『老年時代の真ん中で、道に迷っているばかり』
なら、ちょっと奮発して、1週間ほどの外国船クルーズに乗られることをおすすめします。
 海外ツアーで時間に追われるように目的地を次から次へとl回るよりも、船舶という限られた空間の中で長期間、外国人の中に入って過ごす経験は結構刺激的だと思います。
 ほとんど何の目的もなく、だらだらと右も左も顔形の違う人と暮らす環境は必ずやあなたの心に何らかのキッカケを与えてくれることでしょう。
 少々、宣伝を兼ねてのお薦めです。
 老年旅行の鉄則は3つです。
1].衛生環境がいいこと
2].治安状態がいいこと
3].暖かいこと
 この3つのすべてをクルーズは満たしてくれます。
 それに決して「道に迷う」こともありません。
 廊下で迷うことはあっても。
 振り返ると「なんとも緊張感のない旅行」でした。
 初めてのヨーロッパだったのに。