2014年7月9日水曜日

【番外編・3:イタリア・ギリシャ トイレ事情】



●ベニス サンタルチア駅構内のトイレの混雑

 イタリアのトイレ事情については実に多くの情報がインターネットから検索できる。
 ギリシャには公衆トイレがある。
 アクロポリスは駐車場にまた丘の上にある。
 コルフにもあった。
 無料である。
 サントリーニは「チップ」とあり、50セント入れた。
 しかし、アテネ市内はイタリアと同じで公衆トイレはない。
 カフェで「HEX」ビールを飲んだときにトイレを使った。
 カフェ(Bar:バル)の奥にでかく「Toilet」と看板が出ている。
 日本のレストランはなかなかトイレの位置がわかりにくいが、ここは必ず店の奥にある。

 『カフェ』とは「お手洗いを提供する食堂」という場所と解釈しても間違ってはいない。
 よって公衆トイレが発達するということはカフェの死活問題になってくる。
 公衆トイレとカフェは犬猿の中といっていい。
 カフェにとって公衆トイレは商売ガタキになる。
 いまのところカフェの勢力がイタリアでは絶大である。
 それがこの地の文化ということであるが、ヨーロッパはだいたい似たり寄ったりであるという。
 果たしてそれでいいかは疑問に感じる。

 サンタルチア駅の構内に公衆トイレがある。
 使用料は1ユーロである。
 しかし、それを使用するために長蛇の列ができる。
 これが国際観光地ベネチアの姿かと思うと悲しくなる。



 駅構内からしてこれである。
 ベネチアを歩いていると「WC」という文字が道に埋め込まれている。
 それをたどっていくと公衆トイレに行き着くが有料である。
 確か1.5ユーロだったと思う。
 1ユーロだと150円、1.5ユーロだと220円ほど。
 つまり『オシッコ』をするだけに200円の使用料を取るというのはどう考えても腑に落ちない。

 旅慣れてくるとちょっとカフェに入って小物(エスプレッソ)を頼んでトイレを拝借という芸当がなんでもなくできるようになる。
 だがはじめはそれができない。
 小物とはちょびっと入った濃厚なコーヒーで2ユーロ、3ユーロほどである。
 文化には慣れが必要だが、こんな文化はいらないと思う。
 初めて観光する言葉の分からない者にとってはこれは過酷は試練になる。

 ドカーレ宮殿の中にもトイレはある。
 ただここはすでに入場料を払って入っているため無料である。
 しかし、駅構内トイレと同じく長蛇の列である。
 トイレの前には案内人がいて「アッチ、コッチ」と使用するトイレを指示する。
 どうにも考えにくい光景であるが現実である。
 列は男女混合で並んでいるのである。
 ここのトイレのおかしなところは男子トイレに小便器がないことである。
 すべて女子トイレと同じくブースタイプ。
 よって入り口は男女同じ。
 ために案内人が使用ブースの指示を出すということになる。
 男子便所はブース1個で小便器を3つもつければ、あっという間にガラガラになる。
 女子便所はブースを3つつけ順番に入ればいい。
 さすれば案内人など置く必要もない。
 イタリアには小便器はないのであろうか。

[注]:調べてみたらイタリアにも小便器はある。ではなぜそれを使わないのか、という疑問が出てくる。答えはこうである。小便器の利用では使用料が取れない、ということである。

 小便器がないという不思議に加えて、和式トイレがあるという不思議もある。
 ベニスのカフェのトイレは多くが和式である。


*google 画像から

 パドマもそうであった。
 ウオシュレットで洋式に慣れた日本人にとってこれは結構きついのではないだろうか。
 デパートで洋式がふさがっているとき、隣の和式に入ろうとは決して思わない。
 ヒザがきついのである。
 中腰でしゃがめないのである。
 日本人の体はもう和式は無理なようになっているのではなかろうか。
 その和式が国際観光都市のベニスではオーソドック方式になっている。
 果たして例えばアメリカ人などは使用可能なのであろうか。
 私は西洋はすべて腰掛け式の洋風だと思っていた。
 よってベニスで和式をみたときこれはビックリであった。
 和式の「和」は日本式を意味するが、これから判断すると和式も洋式になるのかなと思ってみたりもした。
 イタリア人は足腰が強い民族なのかもしれない。

 日本はいま国際観光に力を入れている。
 その問題の最初に上げられたのがトイレである。
 公共トイレが整備され、またコンビニでは無料でトイレが使えるようになっている。
 駅構内のトイレは近年素晴らしく生まれ変わった。
 汚い、使いづらいが定番の国鉄のトイレが、きれいなJRトイレに生まれ変わった。
 大井競馬場は女性トイレを整備することで、競馬ギャルをつかまえた。
 サントリーニのように壁を白く塗ることで観光化するのもひとつの手だが、公共トイレを整備することの方が日本文化の発信としては大きい。
 ウオシュレットのトイレ文化はクールジャパンの先駆けでもあるが、なにしろ
 「日本のトイレには神様がいる」
という方がインパクトがある。

 小さいころお正月になると玄関、台所、風呂場、便所などに小さな鏡餅を供えて元日になるとおやじの後ろにくっついてかしわ手をうちながら回った。
 玄関には玄関の、台所には台所の、便所には便所の神様がそれぞれ居ると聞かされていた。
 昨今は加えてパソコンの横にお餅を供える。
 いわく「インターネットの神様」に感謝を捧げるのである。

 ところでもし、ヨーロッパの普通の人が日本にきて公衆トイレの状況に触れたとき、そして喫茶店がトイレ提供主ではないことが分かったとき、ちょうど私がイタリアの公衆トイレについて感想を述べたようなことを述べるとしたらどんな印象をもつのであろうか。