2014年6月24日火曜日

ニ日目:『ようこそバーリへ(イタリア)』:「受難」の地

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 海外旅行の備えをする人はしっかり勉強している。
 しかし我々はダメである。
 老年三人である。
 面倒ぐさがり屋ばかりである。
 娘は
 「ベニスってどこにあるの?」
 「ベニスならゴンドラだよね!、ゴンドラ!」
といったレベルである。
 今日、ありがたいことにインターネットで探せば画像動画を含めて情報は山のように出てくる。
 しかし、あまりの多さは逆にヘキヘキして情報を受け付けなくなる。
 いつでも取得できるとなると後にしようと手がでなくなり、そのうち出発日になってしまう。
 よって得ている知識といえば
 白い壁と青いドームの教会で宣伝ポスターにもなっている洋酒メーカーに似たサントリーニという名前と、
 アテネ・アクロポリスのパルテノン神殿
 そして世界遺産になっているドブロブニク
だけである。






さて今日の船外ツアーは『バーリ BARI』。
 予備知識まったくなし。
 このツアーは前もって予約してあった。
 がしかし、カウンターへいくと
 「英語ツアーの参加者が少なすぎるので中止になりました」
という。
 行われるのはイタリア語とドイツ語のツアーのみである。
 と言うことは目的のツアーの参加希望者は我々だけだということである。
 この船、3千人ほどのお客が乗っている。
 ツアーは4本しかない。
 その1本の英語ツアーに参加者がないとは、なんとも不可解。



 「どうする?」
 答えは簡単。
 老人たちは英語で説明されたって分からないのだから、ドイツ語でもイタリア語でも同じだろう、ということ。
 急いでツアーデスクへ行く。
 もうツアーは締め切っている。
 でも英語ツアーの中止と言うアクシデントの被害者ということで配慮してくれた。
 係りの美人の女性が付き添って急いで下船し、ツアーバスまで見送ってくれた。
 乗り込んだとたんにバスは出発する。
 おっそろしい。

 バスに揺られること1時間弱。
 降りるとイタリア語組とドイツ語組に分かれる。
 イタリア語組は20人くらい。
 ドイツ語組は8人。
 どこに入れられるのかと思ったらドイツ語であった。
 よってドイツ語組は12人となる。
 数のバランスでドイツ語組にふりわけられたと考えたいが、そうではないのである。
 というのはガイドの女性、英語も堪能なのである。
 案内はまず8人にドイツ語で行われ、次に英語での説明となる。
 この説明をうけるのは家内と娘の二人のみ。
 娘によればこのガイドの英語は実に分かりやすいという。
 家内も少し分かったと言う。
 昨日のドカーレ宮殿裏側ツアーは英語のガイドで行われたのだが、この女性の英語が非常にわかりにくく娘はネをあげていて、こちらへの解説はまったくといいほどなかったのである。
 今回のガイドはわかりやすいようだ。
 ここはイタリアだからこの女性トリリンガルということになる。

 着いたのは『The "Sassi" in Matera』。
 マテラとはこの地方名、サシとは岩という意味、つまりマテラの岩窟住居ということになる。
 また近年までに大半の住民がいなくなり、うち錆びれた街であったが、メル・ギブソン監督の「キリストの受難:The Passion of the Christ」という映画のロケ地となり、これにより一躍観光のスポットライトが当てられたところだという。

  ウイキペデイアによると行政は衛生上の理由からここに住む1万5千人を強制移住させたという。
 この住民の流出によって廃墟となる。
 しかし昨今、お金を得た住民が昔の我が家を懐かしんでリフォームして使いはじめいるという。
 その数、2割ほど。
 よっては大半は空き家の住居群になっている。
 なを昔の貴族の住居もありそこは改装されてホテルになっている。
 一泊1,000ユーロ、約15万円という。
 きっと王侯貴族の雰囲気が味わえるのだろう。



 この映像の奥に低層の集合住宅も見え、クレーンも映っている。
 おこらくのあたりに強制移住させられたのかとも思ったりもする。
 20%の人が戻ってきているとなるとこんな夜景が展開されるようだ。


●タリア政府観光局(ENIT)公式サイト
http://visitaly.jp/unesco/i-sassi-di-matera

 ただ、これが『The "Sassi" in Matera』、洞窟住居といわれても少々ピンとこない。
 見る限りにおいてこれは建築的建造物である。
 どこが洞窟住居なのかと頭をかしげてしまう。
 拡大解釈だろう、と疑ってしまう。

もう一つのみどころは歴史的な洞窟住居。
 こちらは間違いなく洞窟住居。




 ウイキペデイアによれば「150以上の石窟聖堂や3000戸ほどの洞穴住居」とある。
 「3000戸の洞穴住居」などというのは正直信じられない。
 もしそうなら、1万人以上が洞窟生活をしていた場所になる。
 写真に映っているのはその一部だとしても、数に何かマジックがあるように思ってしまう。
 強制移住が行われたときも、ここに住んでいた人もいたらしく、かれらも移住させられた。
 以後、ここは打ち捨てられるが、今ではその一つが復元されている。
 馬と同居の住まいである。



 このそばには岩窟聖堂があり、壁面は聖者などの絵が描かれている。
 その一つがこれ。


●タリア政府観光局(ENIT)公式サイト
http://visitaly.jp/unesco/i-sassi-di-matera

この洞窟の前でファンタジアの阪急大阪のツアーに出会う。
 我々と同じく老年軍団である。
 ということはこのツアーコースは決してマイナーなコースではないということでもある。
 実際、私にとっては十分に興味のあるコースであった。
 さてこの団体にガイドがどう声をかけたら良いのか聞いてきた。
 家内が「こんにちわ」と教えたら、きれいな発音で「こんにちわ」と声をかけていた。









 ここ、あまり馴染みのないところと思われるのでウイキペデイアで調べた『The "Sassi" in Matera』検索を載せておく。


Wikipedia:


マテーラの洞窟住居(どうくつじゅうきょ)は、イタリアのバジリカータ州の町マテーラにあるユネスコの世界遺産登録物件。

サッシ(石・岩を意味するサッソの複数形)は、マテーラにおいて洞窟住居を意味する。
マテーラのあるグラヴィナ渓谷は石灰岩の侵食により形成され、渓谷にはこのサッシが何層にも重なって存在している。
このサッシがいつ頃から作られたかは不明だが、8世紀から13世紀にかけて、東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着き、130以上の洞窟住居を構えていたといわれている。
マテーラ周囲からは、旧石器時代の出土品も発見されているため、かなり古くから人々が住んでいたと考えられている。

15世紀から16世紀には、オスマン帝国に追われたアルバニア人やセルビア人などが移住。
当時マテーラを支配していたアランゴーナ家は、この地域をジャンカルロ・トラマンターノ伯爵に売り渡す。
トラマンターノ伯爵は、マテーラに重税を課すが、住民はこれに反発し伯爵を惨殺する。

その後、マテーラは1663年にバジリカータの州都となり繁栄期を迎える。
しかし1806年にポテンツァに州都が移され、その後の経済逼迫の影響もあり衰退していく。

その後、長らく小作農民の住居であったサッシは、南イタリアの貧しさの象徴的な見方がなされた。
19世紀までは比較的快適な住環境であったが、20世紀初頭より、人口が急速に増加し、元々は畜舎であった採光も水の流れも劣悪な洞窟も住居として使用されるようになった。
そのため衛生状態も極度に悪化し、乳児の死亡率は50%に達した。
行政当局としてもこの状態を放置できなくなり、1950年代に法整備を行い、これにもとづきマテーラ郊外に新たな集合住宅を建設し、サッシ地区の住民を強制的に移住させた。
その数は約1万5千人に上る。
この結果、サッシ地区は無人の廃墟と化す。
しかし、150以上の石窟聖堂や3000戸ほどの洞穴住居、地下水路で各戸の貯水槽に上水を供給するシステムなど、ユニークな文化的資産が見直され、1993年にユネスコの世界文化遺産に指定された。
これを契機に訪れる観光客も増え、これを対象とした宿泊施設、食堂、工芸品の販売店などが増え、現在は洞窟住居の「5分の1」ほどが再利用されている。

サッシの中心には、13世紀に建築された石造のドゥオモ(大聖堂)がある。

世界遺産の登録外であるが、グラヴィナ渓谷を挟んでマテーラの反対側には、ムルジェッキアという旧石器時代の集落跡が発見されている。


 もうひとつ、TBSの「The 世界遺産」を載せておく。





 ついでに「受難」のロケ地となった情報もコピーしておく。

Matera(Basilicata)
http://jjfi.web.fc2.com/city/basilicata/matera.html

生活環境が劣悪だとの理由から20世紀の半ばにイタリア中央政府により住むことを禁じられた街は、一時は無人の街となったそうですが、現在は電気もひかれ、お金持ちの人が廃墟をリフォームして住める状態にして住み始めています。
またホテルやB&Bを利用すればサッシの街に泊まることも出来ます。
ライトアップされたサッシの街はとても美しく、このあたりに一泊することをお薦めします。

 日本では世界遺産の街として以前から知られていましたが、マテーラを世界中に有名にしたのはハリウッドのスターでアカデミー賞監督でもあるメル・ギブソンが2003年に撮影した映画「パッション」です。
 キリストが血だらけになり十字架を背負って登る階段はサッシの階段です。
 サッシの街はローマ時代の街そのままなのです。
 そして、十字架に架けられるシーンが撮られたのがグラヴィーナの向こう岸のムールジァ・ティモーネの丘です。


 なを、一説によるとマテーラは宮崎駿監督が「天空の城 ラピュタ」を思いついたところとも言われています。


 さて今宵のデイナーだが、今日はレストランはやめる。
 あのひどい料理はいらない。
 ビッフェで十分おいしいものが食べられる。
 よって今日の夕食は『ビッフェ』に決定する。
 ちなみに今日の服装は。